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根暗です。
根暗カテゴリです。
くっだらないことかもしれませんが、皆さんにもこの見解は知ってほしいです。
なので反転はしません、激しい愚痴とか個人的なそれは少ないはずです。
本日久しぶりに怒りました。
怒るというか何というか、憤慨とかそんな感じじゃなくて、「ちがうんだよ!」みたいなかんじで。
人に対して本気で反論することは何度かあれど、まくし立てたり言いくるめたりしたのは久々だな。
大概相手の意見も取り入れようとするんだけれども、偏見に凝り固まって一方的に悪いと言われれば流石になんとも納得できないのです。
まぁ何のことかといいますとね、ある先輩が「自分の子供は絶対不登校になってほしくない」といっていたんですが、それはまぁ、親としては子に健康に育ってほしいものです。
できることなら不登校などにならず、自分を見失ってもしっかり歩いて行ける子に育ってほしいです。
けれどその先輩の言い方や考え方は「不登校はよくない」みたいな感じで、なんというか、学校に行かないとか考えられんとか、あからさまな嫌悪感が見えていたのです。
誰しも好きで学校に行きたくないわけではないのです、学校という環境がどうしても適応しない子だとか、病でやむなく不登校にならざるを得なかった子や、自分の確立、自己を見出すのに必死すぎて、集団からあぶれてしまった子、ほかにもたくさんの事情を抱えてつらく悩んで、迷っている子が沢山です。そんなの誰だってそうです。決して不登校は特別じゃないです。
自分探しの期間です、それを暗く悪いというのはおかしな話です。日本のマスコミはどうしてしまったんでしょうか。
その先輩は「自分が学校が楽しかったから行きたくないという気持ちがわからない」とおっしゃっていましたが、それは先輩の環境が恵まれていただけのことです。楽しい先生、仲のいいクラス、授業放って遊びに出たりなどする学校は、今いかほどに少ないでしょうか。
念のために擁護しますと、最近の教師は生徒とのかかわりが少ないといわれるのは、国の調査表などの責務が膨大すぎて、生徒の心にまで届くことができない、先生方もまた「自分に精いっぱいで周囲に気を配れない人」なのです。(こんなこと言ったら怒られるかな、そうしたのはまぎれもない国が押し付けた教師へのせきにんなんですがね)
その責務が増え続けて教師は疲れ、更には荒んだ社会状況で、情報があふれ、信頼できることが少なくなっている今、はたして今の学校の現状を知った彼女はそれでも「学校が楽しい」といえますかね。
それを、なんども「不登校がいやだ」と言い続けていたので「そんなにいやですか?」と問うてみました。
怒っても、元来の性格がこれなので、変に笑顔を浮かべちゃうんですがね。
「だって学校に行かずにずっと家におられるとか嫌やん、家におってなにするん?」
「なにもせずに、ただぼーっとしてますよ」
「そんなんもったいないやん、学校に行かんと」
「でも子供たちからすると、学校に行く時間のほうが勿体ないんですよ」
「でもやっぱり外に出たほうがいいって」
「子供からしたらそれは望んでいないんですよ」
ここまで言ったら流石にびっくりしたみたいで、「だ、だから、私はそんな子供にならないよう、育てたいと思います…」とか、口ごもりながらいっていましたがね。
そんな子供って何ですか。
その言い方だと、不登校は全部親の責任だとか言うんですか。
そう、思わざるを得ませんよね。
これが偏見です。
ここまで言いはると皆さん流石にお気づきでしょうが…
はちは昔からの病気で不登校になってしまっていました、それもつい最近までです、正直このサイトを始めたころはまだまだ不登校でした。
でもそれを親のせいだとは思えません、だって病ですよ、親じゃないでしょう。
不登校だって自分をゆっくり探すための期間です、部屋にこもっても、本人は必至でパズルのピースを埋めてるんです。それなのに「そんな子供」ってなんですか。
怒るとか、くやしいとか、悲しいとか、たくさん混ざってなんだか自分でも何を思ってるのかわからないですけどね。そんな感情に戸惑っては言い返すのを忘れてしまいました。
自分の周囲の人にも、そんな考えをしている人がいるのかな、とか。
自分が恋をしているあの人に、先輩と同じことを言われたら自分はどうなっちゃうのかな、とか。
なんかぐるぐる回って涙が出ます。
やっぱり一番は悲しいんですよ、責任は誰にもなくて誰にもあるのに、なんで1人のせいにしようとするのかとか、家族1グループだけが迫害されるとか、ただでさえ追い詰められている人たちを、更に追い詰めようとする社会も悲しい。
ただひとつ言えるのは、彼らにも事情があるのです。
その事情も知らずに、想像だけの概念で迫害しないでほしいのです。
そして励まさないであげてください、頑張りすぎて迷ってしまったひとに、これ以上頑張れというのは辛すぎます。
あーどうしめたらいいかわからないや。
ここまで付き合ってくださった方有難うございました。
長々とお話して申し訳ない、ただ少しでもわかっていただけたなら有意義であったとおもいます。
根暗カテゴリです。
くっだらないことかもしれませんが、皆さんにもこの見解は知ってほしいです。
なので反転はしません、激しい愚痴とか個人的なそれは少ないはずです。
本日久しぶりに怒りました。
怒るというか何というか、憤慨とかそんな感じじゃなくて、「ちがうんだよ!」みたいなかんじで。
人に対して本気で反論することは何度かあれど、まくし立てたり言いくるめたりしたのは久々だな。
大概相手の意見も取り入れようとするんだけれども、偏見に凝り固まって一方的に悪いと言われれば流石になんとも納得できないのです。
まぁ何のことかといいますとね、ある先輩が「自分の子供は絶対不登校になってほしくない」といっていたんですが、それはまぁ、親としては子に健康に育ってほしいものです。
できることなら不登校などにならず、自分を見失ってもしっかり歩いて行ける子に育ってほしいです。
けれどその先輩の言い方や考え方は「不登校はよくない」みたいな感じで、なんというか、学校に行かないとか考えられんとか、あからさまな嫌悪感が見えていたのです。
誰しも好きで学校に行きたくないわけではないのです、学校という環境がどうしても適応しない子だとか、病でやむなく不登校にならざるを得なかった子や、自分の確立、自己を見出すのに必死すぎて、集団からあぶれてしまった子、ほかにもたくさんの事情を抱えてつらく悩んで、迷っている子が沢山です。そんなの誰だってそうです。決して不登校は特別じゃないです。
自分探しの期間です、それを暗く悪いというのはおかしな話です。日本のマスコミはどうしてしまったんでしょうか。
その先輩は「自分が学校が楽しかったから行きたくないという気持ちがわからない」とおっしゃっていましたが、それは先輩の環境が恵まれていただけのことです。楽しい先生、仲のいいクラス、授業放って遊びに出たりなどする学校は、今いかほどに少ないでしょうか。
念のために擁護しますと、最近の教師は生徒とのかかわりが少ないといわれるのは、国の調査表などの責務が膨大すぎて、生徒の心にまで届くことができない、先生方もまた「自分に精いっぱいで周囲に気を配れない人」なのです。(こんなこと言ったら怒られるかな、そうしたのはまぎれもない国が押し付けた教師へのせきにんなんですがね)
その責務が増え続けて教師は疲れ、更には荒んだ社会状況で、情報があふれ、信頼できることが少なくなっている今、はたして今の学校の現状を知った彼女はそれでも「学校が楽しい」といえますかね。
それを、なんども「不登校がいやだ」と言い続けていたので「そんなにいやですか?」と問うてみました。
怒っても、元来の性格がこれなので、変に笑顔を浮かべちゃうんですがね。
「だって学校に行かずにずっと家におられるとか嫌やん、家におってなにするん?」
「なにもせずに、ただぼーっとしてますよ」
「そんなんもったいないやん、学校に行かんと」
「でも子供たちからすると、学校に行く時間のほうが勿体ないんですよ」
「でもやっぱり外に出たほうがいいって」
「子供からしたらそれは望んでいないんですよ」
ここまで言ったら流石にびっくりしたみたいで、「だ、だから、私はそんな子供にならないよう、育てたいと思います…」とか、口ごもりながらいっていましたがね。
そんな子供って何ですか。
その言い方だと、不登校は全部親の責任だとか言うんですか。
そう、思わざるを得ませんよね。
これが偏見です。
ここまで言いはると皆さん流石にお気づきでしょうが…
はちは昔からの病気で不登校になってしまっていました、それもつい最近までです、正直このサイトを始めたころはまだまだ不登校でした。
でもそれを親のせいだとは思えません、だって病ですよ、親じゃないでしょう。
不登校だって自分をゆっくり探すための期間です、部屋にこもっても、本人は必至でパズルのピースを埋めてるんです。それなのに「そんな子供」ってなんですか。
怒るとか、くやしいとか、悲しいとか、たくさん混ざってなんだか自分でも何を思ってるのかわからないですけどね。そんな感情に戸惑っては言い返すのを忘れてしまいました。
自分の周囲の人にも、そんな考えをしている人がいるのかな、とか。
自分が恋をしているあの人に、先輩と同じことを言われたら自分はどうなっちゃうのかな、とか。
なんかぐるぐる回って涙が出ます。
やっぱり一番は悲しいんですよ、責任は誰にもなくて誰にもあるのに、なんで1人のせいにしようとするのかとか、家族1グループだけが迫害されるとか、ただでさえ追い詰められている人たちを、更に追い詰めようとする社会も悲しい。
ただひとつ言えるのは、彼らにも事情があるのです。
その事情も知らずに、想像だけの概念で迫害しないでほしいのです。
そして励まさないであげてください、頑張りすぎて迷ってしまったひとに、これ以上頑張れというのは辛すぎます。
あーどうしめたらいいかわからないや。
ここまで付き合ってくださった方有難うございました。
長々とお話して申し訳ない、ただ少しでもわかっていただけたなら有意義であったとおもいます。
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